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2026.04.06 忠犬「しろ」物語
忠犬「しろ」物語
三百年を越えて語り継がれる 

忠犬「しろ」物語

 

― 三百年を越えて語り継がれる、主君への深い想い

 

今から三百年以上も前の江戸時代、長岡藩中興の姐と仰がれた英主三代藩主牧野忠辰公は、中沢村(現・長岡市中沢)の庄屋善兵衛から勇敢で、賢い白い犬(当時の秋田犬)を譲り受け「しろ」と名付け大変かわいがって育てていました。おつとめで江戸に赴き長岡を留守にすることになった時、「しろ」は大変さみしがり、主人の籠を追い江戸までやってきました。殿様はことのほか喜ばれ今まで以上に可愛がりました。

 

天守閣を模した長岡市郷土資料館

 

 

  運命を変えた、たった一度の争い 

 

ある日のこと尾張徳川家の御自慢の大きな洋犬が家来に連れられて長岡藩の御屋敷の前で「しろ」を挑発してきました。「しろ」はしきりに吠えながらも耐えていましたが、尾張家の家来たちが「この犬は強い犬だ、そんな白い犬に負けるはずがない」と高をくくっていました。突然「しろ」は果敢に大きな洋犬にとびかかり、跳ね飛ばし追い払いました。

 

このことはすぐにお殿様の耳にも入り尾張の徳川家の大事な犬に怪我を負わせたとなったら、「しろ」も長岡藩も困ったことになるかもしれない。こんなことをするようでは江戸の屋敷においておくわけにはゆかないと、きつく𠮟りました。「しろ」は大好きなお殿様に叱られ長岡へ帰れと言われたのだと思い、長岡へ悲しそうに帰っていきました。

 

翌朝、殿様は「しろ」がいないことに気付き、家来に問いました。家来は「殿様に叱られて長岡に戻ったのでしょう。」と答えました。殿様は「かわいそうなことをした、長岡に戻ったらいたわってやるように。」と家臣に命じました。

 

 

 

  故郷での再会と、届かなかった許し 

 

江戸から約76里(300km)の長い道のりを戻ってきた「しろ」は元の飼い主である善兵衛の家にたどり着きました。しかし善兵衛からは、「殿様のお許しがなければまたうちで飼うことはできない。」と、お城に帰るように諭されました。

 

「しろ」はお城には帰らず中沢村の少し離れたところで鳴き続けました。その鳴き声が聞こえなくなった頃、江戸より「しろ」が長岡へ戻ったらいたわるようにという知らせが届きました。家臣たちはすぐに探し始めましたが見つかりませんでした。そして、善兵衛の所にも家臣たちは行きました。善兵衛は数日前まで鳴き声がした方向を探すと、小高い丘の上でおすわりをしたまま息絶えていました。長旅と悲しみの中で息絶えたのでしょう。

 

人々はその忠犬ぶりを悲しく哀れに思い、塚を築いて「しろ」を手厚く葬りました。

 

 

 

  主のそばで眠る「しろ」 

 

白犬(狗)の塚

 

蒼柴神社北参道入り口付近にある白犬(狗)の塚がその所といわれています。それからおよそ百年後の天明元年に最愛の飼い主・牧野忠辰公は蒼柴神社に祀られることとなり、「しろ」が眠る塚の傍に移ってきました。

 

牧野忠辰公の墓碑

 

戌年である2018年には、長岡藩開府四百年を機に蒼柴神社の境地内に忠犬「しろ」神社が建立されました。今では多くの人が愛犬とともに参拝・祈祷に訪れる名所となっています。悲しい最期を迎えた「しろ」にとって人々の訪問は、きっと何よりの慰めであり喜びとなっているしょう。そして今日も大好きなお殿様とこの蒼柴の杜や悠久山公園を仲良く散策し駆け回っているかもしれません。

 

忠犬しろ神社

多くの人が愛犬と参拝・祈祷に訪れる名所に

 

 

 

 

【協力】

・長岡藩主牧野家史料館

 https://www.museum.city.nagaoka.niigata.jp/guide/makino/

・蒼柴神社

 https://www.aoshijinja.or.jp/

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